金閣寺観賞。

  • 結局、京都には行けなかった。


京都、行きたかったんですが……友人とディズニーランド旅行をしたので、お金が尽きました……(笑)

オバカ過ぎるZE!

で、とりあえず三島の「金閣寺」を斜め読みし(昔読んだから大体は知ってるので。)あらすじを今一度叩き込んでから観賞。開演前には、はるちゃんとお会いして(すんげいバタバタしてしまった…汗)ご飯を食べますた☆短い時間だけれども、濃い話が出来るのはやっぱりブイファンならでは、だと思うのであった(誰!?)

終演後は、急いでお家に帰らなければならないという事だったんで、再会を約束してお互いに自分の席へ。
私の席は舞台を正面に見て左側前方付近。というわけで、以下ネタバレありの感想なので未見の方はご注意を。

最初に言っておくと、結構思った事をそのまんま書いてるので、えーーー?と思う事もあるかもしれません(笑)
それでは、隠しますー。



























・開演前のスタンバイ

これが一番「?」って思った瞬間です。え、何、はじまっちゃってんの!?と思わず驚いた。開演前から役者さんをスタンバイさせてその世界観にどっぷりと浸って貰おう、という狙いがあるのかな?と思ってとりあえず席につきました。…が。

前列に腰掛けてスタンバってる女優さん……私語はやめようよ。年配の俳優さん(老師役の方。)に耳打ちみたいなのをしてて。こういう事があると、私は一気に冷めてしまうというか、「作りもの」という感覚で観てしまいがちになるので、全力でやめて欲しかった。

「舞台」というステージを作り上げる上で、開演前にああいった状態でスタンバイしているのを観客に見せるというのならば。役者もどっぷりとそこに浸かっていて欲しかった。「金閣寺」という、ただでさえ難しい題材を取り上げているのに、台無しだ。…と、憤ってしまったのです。もちろん、心の中で(笑)
観に行っていた友人は、「そこはそんなに気にならなかったけどなぁ。」と言ってましたが、私はどうも細かい事を気にし過ぎる様で。

ココがあったから入り込めなかった、とまでは言いきれないけれど、キッカケになったのは確かです。
その中でも、机?か何かの上に座ってじっと1点を見つめたまま微動だにしない役者さんが居たんですが(役柄が分からん…!)そういう方がいらっしゃるからこそ、私語は目立つ訳で。入り込んでる人とそうじゃない人が同じ舞台上に居るというのはもどかしい。

バラバラに見えちゃうんです。私みたいなひねくれた子供が見ると。


・「金閣寺」の一節の朗読。

森田さん演じる溝口が舞台上に出てきて、いよいよ開演。始まったんだか何なんだか良くわからんという不思議空間(笑)

で、出演者が交代で朗読をするんですが。


…マイク…使うんだ。


マイク持って、文庫本サイズの本を開いて文章を読んでいく。またここで私は現実に引き戻されてしまって、舞台の中の世界と現実とを行ったり来たりさせられるのがはっきり言えばイラッとした。
ゴ様が完全に溝口にしか見えないほどハマり込んでて、清貧なその立ち振る舞いに鳥肌まで立ったんですが。

マイク…マイクかよ、っていう。溝口のか細いけど力強さのある言葉が突き刺さるのに、心は現実に居るという何とも言えない感じ。そんなもん使わずに生声で、別に声を張り上げたって良いから、生声で読み上げて欲しかった。

声が通らなくて聞こえないっていうなら、別に叫んだ様になったって良いじゃないかとさえ思いました。


・ゴ様演じる溝口。

演技に惹き込まれる感じは何度もありました。狂気に染まっていく様はホントに恐ろしいとさえ思えたし、見入ってました。1つ気になったのは、吃音という難しい役どころだからなのか、そこに意識が持ってかれてるのかな、と思う所が数カ所あって。

意外と声がこもるな、というのは少し感じました。でも、表情に目線の動き、苦悶の動作なんかはさすがだなー…と。
最初に観た「荒神」とは全く違ったキャラクター、題材なのでそこと比べるのはお門違いだと思うのですが、色々な舞台を経験してでっかくなった森田さんを見せてもらった、という感覚です。良い演出家さん、共演者さんと出会えた結果ですよね、これはきっと。でっかい財産を貰ってるなぁ…と、だいぶ上から目線ですけども(ほんとに。)

大東俊介君演じる鶴川とのシーンはどこか危なげで儚くて、娼婦の腹を蹴って流産させた件を溝口に問う時。

「君がやったんじゃないよね?」と優しい口調と笑顔で問いかけて来る鶴川とのシーンは見ているこっちが、胸が痛む所でした。溝口は、鶴川が眩し過ぎて、焦がれ過ぎたのかなー…とぼんやり感じましたね。問い詰めないでいてくれたら、そのまま黙って受け入れてくれていたら、すべてをぶちまけて懺悔したのに、というあの溝口の心情。

とても傲慢でエゴの塊だけれど、何となく分かるな、とちょっと感じてしまったのは事実。ああやって問われたら、そりゃ「やってないよ。」と言うしかないわな。私が溝口でも、そうしてしまったかもしれないよ。

金閣に対する想いと、鶴川に対する想いとは似て非なるものなのかもしれないな、と。そんな事は三島の「金閣寺」を読んでも感じなかったのに。ただ溝口が傲慢で、ムカッ腹立っただけだったのに(笑)
ゴ様と大東君が、とても魅力的な溝口と鶴川を演じたからこそ、違った感想が生まれたんだと思っています。
とても素敵なシーンばかりで、最後に鶴川が柏木に宛てた手紙を胸に抱くシーンは、本気で泣きました。溝口にリンクした、って言うとおこがましいかもしれないけれど、あの瞬間は確かに溝口の心の中にぽつん、と取り残された様な感覚がありました。

上手い、上手くない、好き、嫌い、そのどれもが当てはまらないゴ様の演技は計り知れない底力があると思っています。私は個人的にはケン君の演技が1番好きなのですが、ゴ様の舞台は何て言うんだろう…終わった後疲れるんですよ(笑)いや、悪い意味ではなくって。気が張るというか、物凄い期待をして観てしまっているので、パワーを使い果たします。

ゴ様の魅力は、きっとまだまだこんなもんじゃないと思ってます。
ただ、ゴ様演じる溝口はとても人間らしくて、滑稽で、愛おしかったです。


・時折襲ってくる違和感。

宮本亜門さんの演出にケチを付ける訳じゃないんですが、こういう形で「金閣寺」を仕上げて欲しくなかったなー…と。オカンには、「あんたの舞台の見方は素直じゃない。」と言われたんですが、ひねくれっ子の意見も聞いてくれよ(笑)
舞台上で溝口の心情効果を示す為に、髪の毛長い役者さん(パンフとか読み込んでないので役名も本名も分からん…申し訳ない。)がボイパ?の様な事をしたり、コンテンポラリーの様なダンス(と言っていいのかどうか。)を織り込んであったりで、私が素直に感じたのは「こんなの三島じゃない。」と。まったく別物だと思って観て、と言われたらそれまでだけども、三島が伝えたかった物はそういう事じゃないんじゃないかと漠然と感じました。生きること、生きることに耐えること、破壊することで得る美、それはすべて三島の繊細な言葉選びで成り立つものであって、映像だの動きだの、そういうもので語りつくせるほど簡単なことじゃない。

ただ、私は三島の作品にそこまで強く思い入れはないので(そもそも破壊することで得る美、というものが理解できない。)そこまで強く言ってしまっていいのかは分からないですけども。あんなにすばらしい役者陣を揃えて、世界の三島、しかもその三島の代表作といってもおかしくないほどの「金閣寺」をやるなら、もっと言葉ですべてを伝えてほしかったです。三島の繊細なのにどこか破壊力のある言葉は、きっとゴ様演じる溝口から溢れ出て語り尽くすことで、じんわりと観ている人の心の奥底に沁みたんじゃないかと思うんですよ。で、途中音響のミスか何か分からないけど、ゴ様の台詞に被って効果音が鳴ったから、肝心な所が聞き取れなかったりでもどかしかったです。

亜門さんの考える「金閣寺」を皆で作り上げていこうとするのも確かに素晴らしい事だと思います。思うけども。ゴ様を始めとして、役者の方々も各々が思う「金閣寺」があるだろうし、多少違和感を感じたり、もしもしていたなら、言ってよかったんじゃないかなぁ、って。ものすごい悪口ばっか言ってる様に見えたらすみません。でも、期待してしまったから。「人間失格」で素敵な中原中也を演じたゴ様が、あの三島の「金閣寺」をどう演じるのか、期待しすぎてしまっていたから。残念だったんです。この演出が。亜門さんの演出方法は私の好みには合わないんだな、と。


・観終わって感じたこと。

私はやっぱり、三島の「金閣寺」は理解できませんでした。本を何度読み返しても「金閣寺を燃やそう。」とまで思い立った溝口の心情の流れは、理解できないし、したくなかったです。だから、後半の溝口はただひたすら怖かったし、思わず目を背けそうにもなりました。溝口は何を望んだんだろうな、と。生きることに耐えているのに、燃えている金閣を眺めながら一服した彼が思ったのは「生きよう。」という結論。破壊して、破壊し尽くして手に入れた美なんて所詮まがい物だとしか思えない私には、溝口の心情も、実際に「金閣寺放火事件」を起こした一人の禅僧の心情も理解しがたいものです。訳分からんかった、ですよ。正直な感想は(笑)でも、訳分からんままでスルーしてしまうのはもったいないと思います、今は。ゴ様を通して溝口が伝えようとしたこと。そして、溝口を通して三島が伝えたかったこと。すべてを理解できなくても、理解しようとする事こそが大事なんじゃないかな、なんて。三島も結局は自分自身を壊すことで、作品を、自分の言葉を価値ある物にしようとした。大騒ぎして自殺して、彼が得た物は何なのか、聞けるものなら聞いてみたいです。虚しかったのか、悲しかったのか、それとも。

最後のカーテンコール、一瞬だけちらりと見えた「森田剛」の笑顔が、とても素敵でホッとしました。溝口からすっぽりと抜け出てきた瞬間。怖かったんですよねー…舞台中はずっと。溝口が。3回目のカーテンコールの最後、客席に片手を掲げてくれたその横顔は、やっぱりいつものゴウつんでした。文句ばっかり垂れましたけど、観て後悔はしていないです。いろいろと考えさせられた「金閣寺」。たぶん、一生忘れられない舞台になると思います。